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2016年03月11日

●3.11Pray for Japan

時間と距離は感覚を麻痺させます。
どんな大惨事も時間が経てばその当時の感情は感度を下げて行き
遠くで起きたことはその距離に比例して
自身への影響度が低いと感じがちです。

だからこそ、あの日のことは「忘れない」という意思を持って
次世代に伝えていかなければならないと考えています。

子供には、ちょっと衝撃映像だと思うけど、
自然への畏怖を感じてもらいたいので
この日に限っては地震や津波の映像を少しだけ見せるようにしています。
上の子供は「パパ地震怖いねえ」と言うようになりました。

改めて被災された方に心よりお見舞いを申し上げるとともに
お亡くなりになられた方達のご冥福をお祈りしております。

あの日のblogをもう一度振り返ってみます。
以下はあの日のblogより・・
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Pray for Japan
地震、津波、放射能汚染。こんなことをいうと東北の方々になにをおおげさなと怒られそうですが、ここ数週間の出来事は東京で生活している私の人生においても重大な出来事ばかりで人生感が変わる程の衝撃でした。
地震発生当時は秋葉原のビルの中にいて、そばにあった商品のテレビが落ちないように押さえていました。揺れが治まって外に出てみると車道にはたくさんの人々が出ていて車は一台も動いておらず不気味な静けさのなかで人々の緊張した話し声だけが聞こえるという異様な雰囲気だったのを覚えています。すぐに自宅に連絡したのですが、電話もメールも通じず家族の安否が気になりとても不安になりました。車は地下駐車場に停めてあったのですが一時的にビルの電気が通じていなかったらしく、すぐには出庫することができませんでした。間もなく電源が復帰するということだったので、地下で車に乗ったまま待っていたのですが暗い中にいると余計に不安になるので外の状況を見に行きました。すると目の前のビルの非常階段からどこかの専門学校生が大挙して下りてくるのが見えました。JRは全面ストップしていて街のあちこちに座り込んでいる人たちが大勢いました。中には気分が悪くなった方なのでしょう道路に直接横になっている人もいました。近くに携帯テレビを見ている方がいたので一緒に見せて頂き状況を把握することができたのですが、知れば知るほどにこれは大変なことになった!早く帰らなければ!という思いが強くなっていきました。車を出庫させ17号線を自宅に進むにつれ、歩道を歩く帰宅困難者の数が増していったのを覚えています。自宅に戻り家族の安否を確認できたときは本当にホッとしました。それからの数日はテレビの前から離れられなくなるほどの衝撃的なニュースばかり・・・正直、そんな厳粛な気分の中、ブログの更新をする気になれず今日まで至りました。仕事のほうは綱渡りでした。震災の翌週の撮影で秦野中井まで行かねばならなかったのですが、ガソリンが半分しか用意できず秦野でガソリンが入れられない場合は車を置いて一人では持ちきれない機材をアシスタントと一緒に背負って帰るつもりで行きました。運良く秦野中井のインター付近のガソリンスタンドで5分待ち程度で、しかも数量制限もなく満タンにすることが出来、その翌早朝からの撮影にも対応することが出来ました。中には中止や延期になる仕事もありますがこのような状況では当然のことといえます。今回の経験は被災地の方からは比ぶべくもないほどのものなのですが、それでもいろいろと考えさせられてしまいました。人間の考えたシステムや建造物等は自然に対していかに無力なのかを思い知り自然に対する畏敬の念を強めることになりました。自然(特に今回は水と火)に対しては奢らずに対抗し止めおく策を講ずる生き方よりも自然によりそい調和した生き方をすべきだと感じます。
私の知人も仙台で被災をしていてとても心を痛めています。
どうか早く復興し安心安全な日本を取り戻して欲しいものです。
そのために今は自分の職務に邁進することこそが
一番自分に出来ることなのだと考えています。

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